はじめに
テクノロジーが“触れる”存在となった前の10年を経て、この1985〜1994年という時代に求められたのは、「どう触らせるか」だった。
1984年のMacintoshに端を発したグラフィカルユーザーインターフェース(GUI)の流れは、翌1985年のWindows 1.0によって本格的に広がりはじめる。キーボードとコマンド入力に慣れていた技術者たちからすれば物足りなく見えたかもしれない──だが、“専門家ではない誰か”にとって、それは革命だった。
この10年で世界は、画面にアイコンが並び、マウスを動かせば操作できるという“感覚的理解で使える世界”へと急激に移行していく。インターフェースが言語の壁を越え、年齢や職業を問わず情報技術にアクセスできる環境が整い始めた。
日本でもまた、技術の“翻訳力”が問われる時代だった。NECのPC-9801は“国民機”として圧倒的シェアを築き、シャープや富士通のワープロは多くの企業や家庭に普及。学校現場ではパソコン教室が整備され、“ソフトで学ぶ”という感覚が子どもたちに定着していく。
さらに1989年、Tim Berners-Leeが提唱したWorld Wide Web構想は、次の次元──「ネットワークされた世界」への扉を開けることになる。それが現実化するのはもう少し先だが、“誰もが繋がる”という発想は、この時代に確かに芽生えていた。
GUI、マウス、フォント、OS、ソフトウェア──
この10年は、機械と人の“あいだ”を整えることが、社会全体のリテラシーを底上げしていった時代だった。そして今、私たちがAIと接する“インターフェース設計”を問われているという点で、この時代の問いはむしろ今こそ再注目に値する。
■ 要点整理
・GUI・マウス・OS標準化により、「直感的に使える技術」が一般化
・Windows 1.0(1985)、Macintosh(1984)、PC-9801の躍進
・ワープロ・教育用パソコン・ゲーム機による家庭と学校への浸透
・Tim Berners-LeeがWWWを提唱(1989)し、“つながる情報世界”の原型が誕生
・インターフェースの進化は、今のAI活用における“UI設計”の源流でもある
・Tim Berners-LeeがWWWを提唱(1989)し、“つながる情報世界”の原型が誕生
世界の視点(1985〜1989)── GUIと検索の民主化が開いた思考のインターフェース
“見るだけの画面”から、“触れる世界”へ──インターフェースが民主化された時代
1985年──Microsoftは「Windows 1.0」を発表する。Appleが前年にMacintoshで打ち立てたGUIの世界を、さらに多くの人へ届けるという野心に満ちた挑戦だった。ウィンドウ、メニュー、マウス──。テキストを打ち込む代わりに“見る”“選ぶ”“クリックする”という動作で、コンピュータ操作は飛躍的に易しくなっていく。
この背景には、1970年代末からXerox PARCが育んできた“人間中心設計”の思想がある。GUIは単なる視覚演出ではなく、「思考と操作の距離を縮めるデザイン」という哲学に基づいていた。Appleはこれを製品化し、Microsoftはそれを拡張した。いずれも“誰もが使える”を前提にした設計だった。
この時期、MicrosoftはIBMとの提携を経て「MS-DOS」から「Windows」へと自社路線を強化。IBM PC互換機が市場を席巻する中で、“OSが主戦場”という構図が確立していく。一方、AppleはMacintosh PlusやHyperCardなどを次々に発表し、教育やクリエイティブ分野で独自の支持を集めていた。
1986年、AdobeがPostScriptと共に「デスクトップパブリッシング(DTP)」という新たな概念を打ち出す。これにより、出版・印刷業界が一変。“情報を作る”手段が個人の手に渡り始めたという点で、この時期は“クリエイティビティの解放”という側面も持っていた。
また1987年には、Microsoftが「PowerPoint」の原型を買収・製品化。ビジネス現場でも“伝える技術”の標準化が始まった。GUIは単なる見た目の変化ではなく、「誰もが考え、伝えるための道具」として、個人のアウトプット力そのものを強化していったのである。
さらに1989年、スイス・CERNで働くTim Berners-Leeが「World Wide Web」の構想を発表。これはまだ研究段階に過ぎなかったが、「情報をつなぐ仕組み」が“誰でも使えるもの”として設計されていたことは、GUIやマウスと同じ思想の延長線上にある。
この5年間で見えたのは、“道具を誰が使えるのか”が社会の構造を変えていくという原理だ。画面の向こうにあるものを、いかに近く、いかに自分のものとして感じられるか。その問いに対する答えが、GUIであり、マウスであり、Webの萌芽だった。
日本の視点(1985〜1989)── 国民機とワープロ文化が築いた情報リテラシー
“機械を使いこなす”が、日常になるまで──国民機とワープロが築いたリテラシー基盤
1980年代後半、日本は“情報化社会”という言葉を現実のものにし始めていた。企業、学校、そして家庭。どの場所でも「機械を扱うこと」が特別なことではなくなりつつあった。
その中心にいたのが、NECのPC-9801シリーズ──通称「98(キューハチ)」だ。1982年に登場したこのシリーズは、1985年以降本格的にブレイクし、国内シェア80%以上を誇る“国民機”へと成長。ビジネスから教育、家庭学習に至るまで、あらゆる場面で使われた。
この成功の裏には、日本語環境への最適化があった。JIS規格に基づいた日本語入力システム、縦書き表示や漢字変換──当時のWindowsやMacよりも、“日本語を自然に扱える”という一点で圧倒的な支持を集めていた。
そしてもう一つ、忘れてはならないのが“ワープロ文化”の定着だ。1985年にはシャープが「書院」シリーズを、1986年には富士通が「OASYS」シリーズをそれぞれ発売。PCとは別系統のワープロ専用機が、企業のバックオフィスから家庭の年賀状作成まで幅広く活躍した。
これらの機器が担っていたのは、「誰でも文字を打ち、整え、印刷できる社会」の実現だ。つまり、表現のインフラが一般市民の手に渡った10年である。
学校教育もまた、大きな転換点を迎えていた。1986年、文部省(現・文科省)が「教育の情報化に関する懇談会」を設置。コンピュータ教室の整備や、教育ソフトウェア市場の拡大に向けた動きが加速する。学校現場では、マウス操作や日本語入力が“授業の一環”として教えられ始めた。
この時期の日本における「使える技術」の特徴は、“直感性”よりも“制度設計と習熟”によって社会に根づいた点にある。GUIはまだ一般的でなく、操作も複雑だった。だが、それでも“やってみれば使える”という実用主義が社会に浸透していた。
機械との距離が縮まるには、必ず“ひと手間”が必要になる。日本はその手間を、教育と制度と製品設計の力で埋めていった。だからこそ、この時代の日本人の多くが、テクノロジーを“自分ごと”として育てていけたのだ。
世界の視点(1990〜1994)── Webの誕生と“つながる情報”への設計思想
“使える”から“つながる”へ──情報がネットワークに乗り始めた時代
1990年代の幕開けは、GUIやOSの進化とともに、“ネットワークされた社会”への胎動と重なっていた。人と機械の関係に加えて、「機械同士がつながる」「人と情報がつながる」という次元が加わったのが、この時代の特徴である。
1990年、スイス・CERNのティム・バーナーズ=リーが、World Wide Web(WWW)の仕様を初めて文書化。翌1991年には、最初のWebページが公開され、世界初のWebブラウザ「WorldWideWeb(後のNexus)」が誕生する。
当初は大学や研究機関の中で静かに広がっていたWebだが、1993年に米NCSAが「Mosaic」を発表すると状況が一変。画像表示が可能なGUIブラウザとして一般層に門戸が開かれ、Webは“研究者の道具”から“社会のプラットフォーム”へと進化を始めた。
この背景では、各社のOS競争が一層激化していた。MicrosoftはWindows 3.0(1990)でビジネス市場の支持を固め、1992年にはWindows 3.1を投入。Mac OS、UNIX系OSも含め、「どの画面が、標準になるのか?」という戦いが加速した。
またこの時期、Adobe Photoshop(1990)やIllustrator、Microsoft Office、Lotus Notesなど、“創造・整理・共有”のためのツール群が続々と登場。コンピュータは単なる業務機ではなく、“表現と発信の装置”になり始めた。
企業活動のなかでは、イントラネットの導入が進み、電子メールやファイル共有による業務のデジタル化が急拡大。特に北米のIT企業では、社内情報基盤が紙からスクリーンへと移行していった。
象徴的なのは、テクノロジーの主語が「人→情報→ネットワーク」へと拡張したこと。誰が使えるかだけでなく、「どこにどうつながるか」が価値になる時代が始まったのである。
この5年間は、のちの“インターネット前夜”として語られることが多いが、本質はもっと深い──
それは、人と情報、情報と情報を結ぶ“意図された設計”が、世界中で始まった最初のフェーズだった。
日本の視点(1990〜1994)── GUIとパソ通の交差点、“ネット前夜”の社会構造
独自のリズムで進んだ日本の“ネット前夜”──パソ通文化とGUI定着の交差点
1990年代前半、日本もまた、情報社会への歩みを加速させていた──しかしその速度も構造も、欧米とは異なる“日本独自の地層”を伴っていた。この時期、最も象徴的な現象のひとつがパソコン通信の隆盛である。NIFTY-ServeやPC-VANといったサービスが台頭し、全国のユーザーがモデムを介して接続。電子掲示板、チャット、ファイル共有といった基本機能を通じて、「見知らぬ誰かと情報をやり取りする」という経験が、初めて一般層に浸透した。
インターネットではなく“パソ通”であったことが意味するのは、日本ではまず“管理されたネット”が一般化したということだ。これは、文化的な安心志向と技術習熟の段階に適合した設計だったとも言える。
一方でGUI環境も静かに広まりつつあった。NEC PC-9801はMS-DOS上のCUI(コマンドベース)で圧倒的地位を築いていたが、1991年にMicrosoftが日本語版Windows 3.0を投入し、GUIへの移行が本格化。さらに1993年のWindows 3.1日本語版の登場は、“一般ユーザーもマウスで操作する時代”の幕開けとなった。
ワープロ専用機はなお根強い支持を集めつつも、「パソコンで日本語を扱う」ことへの心理的障壁が薄れたことで、家庭でもPC導入が進んでいく。この時期、年賀状作成ソフトや子ども向け学習ソフトが各社から登場し、“PC=家庭のツール”という発想が根づき始める。
教育分野では、「文教市場」が独自に発展した。中学・高校でのパソコン授業が標準化され、教育委員会主導で情報科教材が整備されるようになる。「打つ」「見る」「動かす」という基本操作が、子どもたちの“当たり前”になり始めた。
ただし、ネットワーク面では欧米にやや遅れをとっていた。TCP/IP接続の普及は限定的で、一般家庭にとって“インターネット”という言葉はまだ遠かった。しかし、“画面の向こうに誰かがいる”という実感が、すでにこの頃から生まれていた。
この時代、日本が選んだのは“少しずつ慣れていく道”だった。安全な空間で、わかりやすく、少しずつ。
その丁寧な歩みが、のちの“携帯文化”や“モバイルネット社会”の形成へと繋がっていく。
横断的インサイト(1985〜1994)
「わかる技術」が社会を広げ、「つながる技術」が未来を変えた
1985年から1994年までの10年間は、一貫して「人と技術の距離を縮める努力」に満ちていた。GUI、マウス、ワープロ、Web、パソ通──それらはすべて、専門性を“直感性”に変換するインターフェースだった。
技術的には、コンピュータの処理能力もソフトウェアの機能も進化していた。だが、この10年の本質は「誰がそれを使えるのか」という問いへの応答にある。
・Appleは“わかりやすさ”をデザインし、
・Microsoftは“互換性”でユーザーを広げ、
・NECや富士通は“日本語という壁”を越える環境を整えた。
それぞれが、異なる人々に「ここから始めていい」と語りかけていた。インターフェースとは単なる“表面”ではない。それは思想であり、参加の仕組みであり、社会設計そのものだった。この10年のもうひとつの柱は、“つながり”の出現である。Webはまだ萌芽期に過ぎなかったが、パソコン通信という形で「人と情報が交差する場」は明確に誕生していた。
コンピュータは孤立した道具ではなく、他者と情報をやり取りする“ハブ”になれると気づいた社会は、このあと爆発的に変化していく。そして、これらを通して人びとが獲得したのは、「自分で使える」「つながっている」「表現できる」という3つの力だ。これはまさに、現代のAI時代にも通じるリテラシーの原型である。
考察と展望
「使える」が当たり前になった社会は、次に“つながり”を問い始める
1985〜1994年は、インターフェースの民主化が進み、「誰もが使える世界」が現実になっていった10年だった。だが、この“使えるようになった人々”は、次に何を求めたのか──その答えが、次の10年(1995〜2004)のキーワードとなる。
それは、「つながることの意味」である。
1995年、Windows 95の発売とともに、インターネット接続が一気に一般家庭に広がる。GUIとネットが融合することで、「操作する世界」から「アクセスする世界」へとテクノロジーのフェーズが変わっていく。
この変化の土台となったのが、まさに1985〜1994の10年で育まれた“使えることの経験値”だった。
GUI、マウス、日本語入力、パソ通、教育用ソフト──それらが、人々に「触ってわかる」感覚を根づかせたことで、ネットワーク社会への移行は驚くほどスムーズに進んだ。
また、この10年には「発信と表現」が多くの人の手に渡った。DTPやワープロ、PowerPointやPhotoshop。こうしたツール群は、“消費者”から“発信者”への転換を促し、次の時代におけるブログ、SNS、YouTube、さらには生成AIのような自己表現の土壌を先取りしていた。
そしてもうひとつ重要なのは、インターフェースという概念が、「設計の哲学」として社会実装され始めた」点である。
使いやすさ=社会への参加ハードルの低減、という価値観が、ビジネスや教育、行政にまで波及する。
次の10年では、いよいよ“世界中がひとつの情報空間でつながる”ことになる──
だが、そのとき私たちはすでに、“わかりやすく、つながりやすい社会をどうつくるか”という経験値を手にしていた。
生成AI、メタバース、デジタルツインといった技術が現れた現代においても、この10年が遺した「誰のために、どう使えるか」という視点は、決して過去のものではない。
むしろいま、再びその思想が求められている。
参考・出典
情報教育 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/情報教育
Windows 1.0 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/Windows_1.0
Macintosh – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/Macintosh
NEC PC-9801 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/PC-9800シリーズ
OASYS – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/OASYS
シャープ 書院 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/書院_(ワープロ)
パソコン通信 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/パソコン通信
NIFTY-Serve – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/NIFTY-Serve
World Wide Web – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/World_Wide_Web
Tim Berners-Lee – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ティム・バーナーズ=リー
Mosaic (webブラウザ) – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/Mosaic_(webブラウザ)
Windows 3.1 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/Windows_3.1
Adobe Photoshop – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/Adobe_Photoshop
DTP – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/デスクトップパブリッシング
PowerPoint – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/Microsoft_PowerPoint